私たちの働き方

仕事を辞めたあとマナビスの
コミッションに助けられました。

倉永もと子さん(宮崎県)

倉永もと子さん(宮崎県)

「私、会社勤めをしてるときはほとんど喋らなかったんですよ。だからマナビスのお仕事を始めてしばらくは黙って座っているだけ。一緒に仕事を教えてくださっている先輩からも『もとちゃん、もっと喋んなさい』『もとちゃん、眉間にシワが寄ってるよ』ってよく言われてました」。そう話してくれたのは宮崎県で活動する倉永もと子さん。そのにこやかな表情からはかつての寡黙な姿はにわかには想像できない。

以前の職場は大手下着メーカーの縫製工場だった。ずっと事務職だったから、毎日、書類とにらめっこ。たまに話す相手と言えば、荷物を運んでくるトラックドライバーとふたことみこと言葉を交わすくらい。30年も続いたそんな生活が突然終わることになったのは54歳のとき。実母が病気になって、倉永さんの助けが必要になったことがきっかけだった。

マナビスの商品は会社勤めの頃から使っていて、使用歴はすでに23年を超えるという。「マナビスを使い始めたのは自分が綺麗になりたいとかではなくて、アトピーだった娘をなんとかしてあげたい、とそういう気持ちからでした。とにかく泡だてが大事ということを、口を酸っぱくして言われましたね。でも私、当時はゴシゴシこすらないと綺麗になるはずがないって思ってました(笑)」。ところが薬用スキンウォッシュと薬用スキンマスクを、それぞれ容器ひとつ分、使い終わった頃に変化が訪れた。久しぶりに会った義弟に「姉ちゃん、なんか顔が変わったけど」と言われたのだ。すると妹さんも「あ、ほんとだ。何使ってるの?」 ふたりにそう言われて初めて、マナビスを真面目に使っていたら肌のキメが整って、ハリやツヤも出るんだと確信したという。
「だから、私の最初のお客さんは身内なんです。ウォッシュで洗ってあげるとみんな喜んでくれる。母や妹には“私、洗ってあげたい症候群にかかってるから洗わせて”って(笑)」。

身内の次にお客さんになったのは独身時代の友人だった。ちょうどウォッシュの使い方が分かってきた頃、独身時代の友人と再会する機会があった。自分から何か言ったわけではない。「私、学生時代はニキビの宝庫だったんです。それを隠そうとしてファンデーションをべったり厚塗り。友人と会った時にはもうマナビスを10年くらい使っていて、すっかり肌も綺麗になっていましたから、その変わり様に彼女は驚いたんですね。今はもう、昔はニキビがいっぱいで…って言っても誰も信じてくれません。証拠写真を撮っておけば良かったなって思います(笑)」。そうやって少しずつではあるが倉永さんの周りにマナビスの愛用者が増えていった。

仕事を辞めた当時はまだ年金がもらえない年齢。でも結果的に、「少しでも動けばお小遣いくらいにはなるかな」と地道に活動してきた分のコミッションに助けられた。
「家が建てられたのはマナビスのおかげ、とよく思うんです。もちろん主人がいてくれたからなのですが、自分に必要なものはそれで買えましたし、あぁ今月困ったなと思ったら、マナビスのコミッションから一時的に拝借して、とやりくりができましたし。それにマナビスをやっていたから人生が楽しめている。この年齢になっても、マナビスの商品を真ん中にして、いろんな友達とお茶を飲んだり楽しい時間を過ごすことができているのが何より嬉しいですね」。